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​平和の旅へ合唱団・長

渡辺千恵子物語3-1

​渡辺千恵子さんは自分の人生を、四つに区切って話していました。

 

 ★第一の人生は 生まれてから被爆まで

 ★第二の人生は 被爆から第二回世界大会で発言するまで

 ★第三の人生は 世界大会での発言から車いすに乗るまで

 ★第四の人生は 車椅子から平和の旅を続けるまで

★第四の人生 車椅子から平和の旅を続けるまで

​★1978年1月 長与町に「千恵子の家」が完成、次兄夫婦とともに再同居

第4の人生Artist Name
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​★1978年 2~3月 車いすで初めての海外へ、谷口稜曄さんらとスイスのジュネーブで開かれたNGO軍職国際会議に参加して、被爆者代表として発言する大役を果たします。

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​★帰国後本格的な車いすの訓練を開始、つらい訓練を乗り越え自立への一歩を踏み出します。

★1979年6月19日、母・スガ逝去(享年82歳()

母の介抱Artist Name
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母亡き後2Artist Name
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​ ★1980年7月「長崎を忘れない」(草土出版社)を刊行、出版のきっかけとなった文通相手の高校生・鈴木千鶴さんと8月に対面

 

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★同年8月日比野正巳夫妻と沖縄を旅する、八重山心身障碍者育成会の集会に参加、その後浮き輪につかまって海水浴を楽しむ。この時伊江島の阿波根 昌鴻(あわごん しょうこう)さんと出会い知古の仲となる。

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★1982年6月、ニューヨークで開かれた第二回国連軍縮特別総会や反核100万人デモに参加。続けてロスアンゼルス,パサディナ、ハワイ各地で集会に参加、講演も行う。

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★1983年5月、西ベルリンで開かれた欧州核軍縮運動(END)第二回大会に出席。続けてユーゴスラビア、ギリシャを訪ね平和行進(約10万人)に参加。ギリシャでは「オリンピアに火を長崎へ」と要請する

​  ★8月、ギリシャからオリンピアの火が核廃絶「誓いの火」として長崎に贈られる。

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