「平和の旅へ」合唱団・長崎
私たちはコーラスによる被爆の語り部です
私たちは、車いすの語り部として知られる 長崎の被爆者・故・渡辺千恵子さんの遺志を受け継ぎコーラスによる被爆の語り部として「渡辺千恵子」さんの被爆体験を歌い続けています
もしわたしに、母に、なお生きて残る幾歳月が与えられるとするならば、”核兵器のない世界””大量殺りくのないせかい”のはじまりをつげる長崎の鐘を聞きたいと願います。私はごらんのとおり、ひとりではどこにもいけない身体です。しかしわたすは核兵器の無い世界には這ってでもまいります。
1970年第16回原水爆禁止世界大会国際予備会での発言から
長崎への修学旅行での平和学習に、団体旅行の被爆体験学習に、お役立てください
上演依頼
随時合唱団員を募集しています。あなたも歌う語り部になりませんか
合唱団員募集
2017年7月7日国連で84か国が署名して採択された、「核兵器禁止条約」は、2020年
10月24日50か国目となるボリビアが批准を行い。2021年1月に発効することになりました。
2020年6月現在、批准国は62か国となっています。
このホームページにおける 渡辺千恵子著「長崎に生きる」からの引用は、著作権後継者であるご遺族の「千恵子さんの遺志を生かすのであれば、自由に使ってください」という了解によっています。
平和の旅へ合唱団・長崎
「平和の旅へ」創作と演奏の歩み
合唱と語りによる構成「平和の旅へ」の創作から演奏普及へ
2015.6.12園田鉄美
1.創作のキッカケ
・1984年暮れ、被爆40周年に向け音楽で被爆の実相を伝える作品をと開始
・創作メンバー(長野靖男、園田鉄美、松下進、松永真司、石木先生※)
・当初テーマに見通しが立たなかったが、原点は被爆者の証言ではないかと一致
・長野氏が渡辺千恵子さんにインタビュー(60分)、石木氏がテープ起こし
・渡辺さんのメッセージを出来るだけ活かしながら詞を書き、作曲
2.曲の完成、演奏スタイルの変遷
1)曲の完成と初演へ向けての練習
合唱と語りによる構成「平和の旅へ」初演45分版( )は曲の完成月
ボタンの向こうは冬(1985年4月)
いちめんの焼野原(1980年7月)
苦しみの日々(1985年5月)
ナガサキから(1985年3月10日)
娘よ(1985年5月)
語ってください友よ(1985年5月)
車椅子(1985年5月)
平和の旅へ(1985年5月)
平和の鐘を鳴らそう(1985年6月)
あなたの名前を(1985年3月9日)
※曲を作りながら練習、その感動で合唱団員広がる、全体の完成は初演1月前
2)初演(1985年7月15日「赤旗文化の夕べ」長崎市民会館文化ホール)と反響
・演奏スタッフ
指揮(柳原邦兀)語り(中村令子)ピアノ(松永寿子)ギター(園田鉄美)
ソロ(園田郁江、寺崎政則)合唱団員(約40名)
・初演のテープに感動の大きさが→その後テープにダビング1000本以上を販売
3)作品の変遷
・初演の年は次の集いで45分版を上演
8/7原水禁世界大会分散集会(テープ300本完売)
10/17園田・松永オリジナルコンサート
10/27九州のうたごえ合唱発表会
11/3香焼町公演
・11/22日本のうたごえ東京祭典創作発表会から30分短縮版で上演
語り、歌の2番、「車椅子」「あなたの名前を」をカットして短縮
・長崎国際平和コンサート(1988.8.6)で16人編成のオーケストラ版を上演
当時活水女子大の三上次郎氏にオーケストラ番の編曲を依頼
・原水禁世界大会(1993.8.9)でエレクトーン版に改定、現在の演奏スタイルに つながる
3.作品と演奏の意義
①作品、演奏形態としての特徴と意義
・各合唱団だけでなく、一般市民、個人参加を含む合同演奏が定着
・語り、ピアノ、ギター、ソロ等のスタッフ確保による人材の広がり
・専門家とのつながりが定着、広がる
②創作、創造活動の質的前進
・長崎の創り手への刺激、創作活動が大きく前進
・ながせん、花の輪、あじさいコール、香焼うたう会等の音楽活動も活発に
・九州のうたごえの活性化、連帯活動の広がり
③組織の活性化と拡大、財政面での支え
・うたごえ協議会の結成へ
・楽譜、テープ、CDの制作・発売による長崎のうたごえ独自事業活動の前進
財政的基礎の一助に
④音楽活動を通じての被爆体験の継承
・歌う語り部としての活動(被爆体験継承)に寄与
・30年間継続して演奏を続けてきたことの重み
延べ聴衆者数 16万人(234回)
延べ演奏者数 約1万人
・これからの課題
歌い手の継承、広がり