病気と闘いながらの被爆証言
人体への放射能障害
被曝の恐ろしさを理解するには、「生命の仕組み」を知る必要があります。
人体は、もともとは1つの『万能細胞』からスタートします。
その1つの細胞が分裂していき、分裂をくり返して人間の形になります。
大人の身体には、60兆個もの細胞があります。
どの細胞も、「遺伝情報」は同じです。
私たちの生命は、細胞分裂をしながら、同じ遺伝情報を複製することで支えられています。
細胞には核という部分があり、その核の中にはDNAの二重らせん構造で遺伝情報があります。
細胞分裂の時には、DNAの鎖がスーッと分かれて、片方の鎖がもう片方を正確に複製し、新旧が対になって元と同じ配列で繋がるのです。
DNAの幅はわずか2ナノメートルで、繋げていくと1つの細胞につき長さは1.8mにもなります。
2ナノメートルの極細の糸を、正確に複製して繋げるのですから、まさに「神業・神秘」です。
放射能被曝は、この神業で組み立てられる遺伝情報(DNA)が、切断されて異常を起こします。
★渡辺千恵子さんの・・再生不良性貧血・という病気は造血機能の障害によって起きます。
血液は脊髄の中で作られ血管に送られるのですが、被爆後何年も経ってから障害が現れることもあるのです。千恵子さんの場合は、この治療のために言わば造血機能のリハビリのような治療がおこなわれたみたいです。
血液中の大切な成分を人工的に抜いて新たに作らせる、この大切な成分を抜くために非常に強力な薬を点滴で注射すると、全身の倦怠感、吐き気、脱毛・食欲不振、などの激しい症状に襲われます。
医師からこれに耐えられるかと聞かれた千恵子さんは「それなら被爆後に経験したから大丈夫です。」と答えたと語っていました。
定期的にこの激しい治療を受けるために大学病院の無菌室に面会謝絶で入院し、退院しては車いすで、就学旅行生や集会での語り部活動を続けました。
最後の被爆証言
修学旅行での語り部活動に、同行したことがあります。
タクシーがホテルの玄関口に到着すると、大概付き添いの先生と学級委員のような生徒が出迎えに来ていて、車いすを押そうとしますが、千恵子さんはその手を止めて「失礼ですが先生、今日来ている生徒さんの中で、先生方が対応に困っているような生徒さんがいれば、その生徒さんを呼んでくれませんか」と言われるのです。
しばらくするとイカニモな様子の生徒がやってきます。すると千恵子さんはその子に車いすを押してくれるように依頼して、肩越しに手をやりながら「お願いします」と言うのです。
するとその子が講演が終わって千恵子さんがタクシーに乗るまでかいがいしく面倒をみるのです。
後日千恵子さんのもとに・学校・家族・本人・から送られてきた手紙を何通か拝見しました。
「あれからあの子が変わりました」「僕は立ち直ることができました」という感謝の手紙です。
渡辺千恵子さんの若者に対する期待と信頼を見る思いです。
★1992年12月18日 心不全で入院中の聖フランシスコ病院のベッドで、長崎原爆松谷裁判の原告側証人として、被爆緒言を行います。
2000年7月に長崎原爆松谷訴訟は、最高裁で勝利します。
これがこの後たたかわれる被爆者集団訴訟へと発展し、国の連続敗北ㇸと繋がっていったのです。