1985年(被爆40周年)渡辺千恵子の半生をテーマに「合唱と語りによる構成平和の旅へ」が創作される
★1985年3月15日、「平和の旅へ」作品つくり録音取材を受ける。
★渡辺千恵子さんは、5月に再生不良性貧血との診断を受け面会謝絶で入院治療を繰りかえす状態だったのです。
以後この苦しい治療を繰り返しながら、かたわら修学旅行生などに、車いすで語り部の活動をつづけました。
うたごえ祭典などへの参加
★1988年8月6日 「長崎国際平和コンサート」、に向けて「平和の旅へ」のオーケストラ版への編曲が行われ、九州交響楽団有志と長崎交響楽団有志による、オーケストラ伴奏で、守屋博之さんの指揮で演奏。
★1988年9月4日 「全国自治体のうたごえ長崎祭典」でも同じ編成での演奏が行われた。この時の渡辺千恵子さんのあいさつの音声データが残っていました。
(この「全国自治体のうたごえ長崎祭典」に渡辺千恵子さんとご親族を招待し、千恵子さんに初めて生演奏による「平和の旅へ」の全曲を聞いてもらったのです。
★「自治体のうたごえ長崎祭典」への参加のお礼に長年の友人であった梅田訓子さんと、園田鉄美さんと三人で伺ったのはたしか、入院中の長崎大学病院の無菌室だったと記憶しますが、そこで「この歌が私に代わって被爆体験を伝えてくれる、うれしい」という言葉をもらったように思います。
そして千恵子さんの親族が初めてこのような集会に参加したことについても「嬉しかった」と話されました
次兄の渡辺廣志さん一家が家族ぐるみで千恵子さんを支え続けます。
★1989年11月、日本のうたごえ京都祭典に自らナレーションを担当して平和の旅への演奏に参加
渡辺千恵子ナレーション
渡辺千恵子ナレーション
娘よ
平和の鐘を鳴らそう。
★1991年2月 合唱団「ながせん」・国鉄広島ナッパーズ ジョイントコンサート (広島フェニックスホール)へのメッセージ